すごい久しぶりな
開発はボチボチやってます。織田です。
僕も山口も生きておりますので。
明日のCOMITIA参加
関西コミティア、当選しました。
Number8のサークル活動についてです。
関西コミティアへの参加について、何時ごろ当落が来るのかそわそわしながら待っていたのですが、山口から当選したよとの連絡。
とりあえず良かったです。
参加情報はこちらから。
http://number8.jp/information/173/081006-info1.html
今回、関西コミティアさんはスペースが応募予定よりぐっと多かったらしく。
落選はないというhttp://kcomitia.exblog.jp/の情報は見ていたのですが、ひとまず確定したのでご報告します。
スペースNoはB-05です。
消費しないのは良くないというお話はもう語りつくされたんじゃないのか
トラバをきっかけに、ロスジェネと麻枝さんの作るシナリオのお話→消費しないM1/F1層(20〜34歳)の話にぼちぼちリンクして、内容がそれぞれ何となく、琴線に触れたのでメモしておきます。
http://www5.big.or.jp/~seraph/mt/000332.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20379476,00.htm
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1170087.html
http://diamond.jp/series/nippon/10021/
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20379476,00.htm
見事にその層にいる自分としては、感覚的に、各世代層の持っている社会に対する役割の果たし方や仕組みに違和感を感じてきたというのがあります。
ただ、僕なんかは楽観的なせいか、どこかでこういう違和感や世代間衝突は擦り合わさってくるハズだという淡い期待を持っていたりして、まあ、甘いのでしょうかね。
ですが、ここ最近は僕らの年齢がその擦り合わせが進むよりも先に年をとって来てしまって、逆に今あるものを何とか保ちつつ、安定したポジショニングをしていこうという気持ちが強くなりつつあるように感じられます。
きっとこういう態度が、高度成長時代にイケイケで済ませてもなんとかなった人々や。イケイケ過ぎちゃってバブルでこけたけど、バイタリティで何とかまた持ち直したようなヒトから見た時に物足りない気持ちになる事は多いのだと思います。
自分たちの仕事を、いずれ引き継いでもらいたいと、そろそろ思い始める年齢だし(お互いに)。
でも、こういう必死さというか、生き難さがある意味、当然の事なのかなとも思うのですけどね。
高度成長時代と今はやはり明確に違う。数字が違う。確率が違う。
ただ、その頃の幻想を未だに基盤にしていると、食っていくのが大変。ということ以上に生きる事が世間の価値との衝突や攻防戦を過剰に意識する事が増えてしまい、結果、生きることは辛く・大変なことであるという、基盤の間にある溝にハマるヒトが増えるのだと思います。
いや、まあコレは直感を言葉になんとか落としてみただけで具体的な言い方でないので良くないかも知れませんが;
昔と比較して確実にある社会の逼塞・または近い状況に適応した結果が、例えば消費のしなさだったりするのだと思うので、消費をしないことが間違いだよ。とか、そこから芋づるに関係性の構築への踏み出しが甘いとか関係性が固定化しがちなど、またこれも価値の評価(と相関性評価)が微妙な点を「間違いだ」的に断じるのは、気持ちも分かるんだけどなあといった具合です。
[過去20年、労働市場で何が起こったのか]
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080805
上記の記事なんかでは、この状況はやはり上部の世代が作ってきた状況であるという一部の部分が垣間見えて良いです。
ただ、彼らがやった。というだけの事ではないと思いますし、世界の状況ともっと比較してみてみないといけないと思いますし、そして僕ら世代にできることももっと沢山あっただろうし、有形無形に、未来にもそれは課されていると思います。
その課題の中には、僕らが同じ状況を再度作り上げて、僕らよりも若い世代を今よりも閉塞させていくような選択肢があると思うので、そんな真似はできるだけやりたくないなぁと個人的には思っているし、その担保を昔よりも広く大きく展開している価値観の、堅牢な自由度に期待したいところだなぁと。
だんだん何言ってるのか分からなくなってきましたね。
時間が押してるところをガッと書いてしまいました。
失礼しましたー。
地方と首都近畿圏とのオタク文化格差
この記事はNumber8のHPに載せてたものですが、サークルっていうよりごくごく個人的な感想に近いものなのでこちらに転載してしまいます。
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関西コミティアへ参加してみようとの山口からの提案を受けて、地方イベントについて調べていたところ、リンクの流れに沿っていくうちに地方と首都・近畿都市圏のオタク文化の格差に関する考察があって大変興味深く、影響も受けたのでエントリーしておきます。
地方人ながら、アニメはあんまり見ない上にグッズ等も買わず、ネットからの吸収(ブログ・ニコニコ・2chなど)と、消費に関しては本が中心で Amazonがあれば問題なく生きていける自分のようなインターネットがあればいいや的オタクと、アニメの新放送やグッズや同人イベントや周辺情報の摂取に対して積極的な層にはまた物理距離以外の文化上の隔絶がありそうですが、どっちかっていうと後者の方がオタクとされる場合に一般的な傾向だと思われるので、主にそちらにフォーカスした情報が集まりました。
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ちなみにこの問題については、オタクという括りだけでなく、サブカルの持つ問題として少し取り上げていらっしゃった『また君か:地方東京問題雑感 2006(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060315)』のエントリーが引っかかりまして、似たようなことを山口と(彼は昔、セレクトショップ系ブランドの乱立・流行時に服飾に大変ハマっていたそうです)話をしていて 彼が触れていたこともあり、この"中央"からの物理距離問題はオタク文化というよりはサブカルチャーが抱えている問題なのかも知れません。
「欲しい!だけど地方では買えないんだよ!その服を!
…だけど欲しい。って気持ちの動機になったそのお店の思想やコンセプト、感性やデザイナが語る言葉、そういった物はとてもよく知っているのに」
…という気持ちは大変切ないとのこと。
他の例でたとえると、インディーズで人気があったところからメジャーになるかなぐらいのアーティストへのファンの心理だとか、世界的な著名人が日本に来る けどイベントやるのがドームのある街だけだよ的な気持ちや状況にも通じると思うので、そういった意味でサブカルが常に持つ問題かなと。
それでも好きでいることが切なくて、そして大変という例については
オタクの地域格差
http://anond.hatelabo.jp/20070121162653
・・・が良いテキストです。
翻って、東京在住(の方の意見で間違いないと思われるが)の方の気持ちとして
独り言以外の何か
http://d.hatena.ne.jp/Su-37/20070502#1178047394
・・・という意見も。各個撃破・集中させなくてはならないという意見は妙に納得できました。
ただ、やっぱりお金の問題は大きいと思います。
普通に社会人として平均的な年収を稼いでいても、夏冬の時期に絞っても最低20万ぐらいは確実に飛ぶということは、自分の感覚だとかなり使ってる感があるわけです。
ここは個々人の金銭感覚・消費感覚次第の部分も大きいと思うので、何かデータがあれば見てみたいですね。
とまれ、"関する情報"(ソフトとしての情報ではなく)という概念上の獲得物だけでは満足できない。
そうした周辺情報から刺激された欲求に対して、現実世界の充足のための装置が貧弱だと、それが悲しいというか切ないというか。
そういうまとめ方でOk?
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具体的に東京や大阪には何があって、地方には何が無いのか。という点については、多くの方が言及し、データも出してくださっているので(ぜひこちらのデータもご覧ください http://homepage2.nifty.com/rhino40/extra-data/extra/localrank2006.htm)ここでは例のみ出させていただくと、、おおむね以下のような部分が『格差』といわれる項目なのかなという感触を得ました。
言語化しない物も含めてこれ以外にも沢山あるんだと思いますけどね。
* アニメの新放送への追従の問題
* アニメ放送時の配給の放送局ごとの有無の問題
* 本の発売日のズレ(遅れ)
* 同人イベントや公式イベント(出版社主催など)への参加とイベント自体の充実度
* グッズ・書籍・ソフト等の購入ショップの問題
* 友人・コミュニティの規模や数
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んで、東京・大阪では足りていて、地方には何が足りないのかっていうと、これはつまりこういうことじゃないかと。
* 物量(+=選択肢の数)
* スピード(提供の間隔と含む時間精度)
…あれ。平凡なところになりました。
ただ、足りてる足りてないの判断地点は個人の価値観が大きく関与するので、足りる足りないの問題からすなわち格差という話になるのではなく、そもそも、その議論をするための地平を根本から支えてる原的な部分の問題としてこの2つがあるんだろうなあと思います。
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さて、あんまりグダグダすると長くなってしまいますので、さっさと『物量とスピードはどうなればより良い方向に向かうの?』という点にシフトしたい。
極論しちゃえば、お金がどれくらい投じられるかという問題になりそうですね。
とはいえ、こういう風にお金の話だから。というように決め付けちゃうと、包括的だけど問題点がぼんやりしてしまうので、微妙なところ。
この点はしっかり分かっておきたいという前提で。
地方経済が活発化しないと当然、当地のオタク文化圏に落ちてゆく金額が少ないので(生活必需要素の優先的占有率は地方・中央の差が縮まりつつあるようなので余計に)、そうである以上は物量とスピードを上げてゆくための努力が成されない(現状維持が最優先)ということになり、そのため、文化その物の価値も含めた周辺社会での認知も遅れてしまうという多重問題に。
ただ、これじゃああんまりなので、ちょっと違う観点から。
この手の論理だとお金が上から落ちてくるという観点から語られがちで、僕もそこでストップしてたんですが、こう見えて経営問題とか営業問題とかに頑張ってるらしい山口いわく、『お金を引っ張ってくる・お金が生まれる環境を作る』(という発想がスマートじゃないというか泥っぽいためか分からないけど)みたいな意見が抜けたままその話になるのが嫌とのこと。
なるほどというか、その考え方ができるかどうかまで考えてみて初めて、
愚仮面:[オタク]地方オタクとオタクの現場と
(http://d.hatena.ne.jp/derorinman/20061002/1159802430)
オタクの地方格差問題2007年
(http://homepage2.nifty.com/rhino40/extra-data/extra/local2007.htm)
こちらで取り上げている人材問題の話題に改めて納得できました。
友人の有無や、地域・地方コミュニティ内での積極性のある人物の有無について述べた内容ですが、もうちょっとここに付け足すことが許されるならば、『オタク文化のために社会活動や企業活動を通じて、オタク文化へやってくるお金を発生させるように頑張る人材』も、含めて考えていいのかなと思います。
ただ、それじゃあそういう人材がやってることってつまり何なのか。ということなんですが、これも大概泥臭いかも知れませんが、企業の広告や宣伝にそうしたオタク系カルチャーのブツを使っていただくことであるとか、電車男等々のような、文化の内相について伝わるような媒体を世に送り出すとか、相互宣伝や取り持ちを行う代理人を作ることであるとか、必要であれば官を動かすよう働きかけてみたりしつつ、公共性があってかつオタク的側面を含んだイベントをやって外堀埋めをやってみるとか、とにかく色々。
…というのはロクに考えていない、アイデアとも呼べない垂れ流し例かな。
ともかく、ビジネス(笑)っぽい発想と実行ができることも含めて、『人材』なのかもなあと思う次第。
そういった人材が地方にもっと生まれてくると、物量とスピードの改善に手をつけてゆけるかもね。というハナシ。
中央にいるかといわれたら微妙な気もしますし、もうちょっと別の言い方をするなら、ごく簡単に『オタク文化コミュニティの中と外の世界を積極的につなげる人材』というだけのものなのかも知れません。
ただもちろん、彼らの動機や理由を支える僕らのようなつくり手が、精一杯頑張るのは至極当然です。
プロ・アマの垣根が薄くなってるから余計に。…ですね。
だけど、数寄でやるということ以上に多少の使命感を持てるとより良いのかもね。
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ただ、人材や社会的価値・お金云々の問題をおかせてもらうと、インターネットがやっぱり、この問題をそれなりに早めに解決・緩和する(しつつある?)方法な気がしています。
先ほどの具体的な問題への対応を考えたときに、一通り埋められるからです。
充足の質はまた別のハナシです。下記の対応ではまた「足りない」問題が出ることが明確ですので。
* アニメの新放送への追従の問題
o ネットで配信できるような放送体系が生まれればおk
* アニメ放送時の配給の放送局ごとの有無の問題
o 同上。強い放送局と弱い放送局に分かれる。というかそれどころか、配給元が直接配信でマージンを切れるかも知れない。
* 本の発売日のズレ
o 流通業界は日々、皆が思っているより状況改善しつつあるみたいなので薄れつつある問題だけど、いっそDLして読めれば問題ないんじゃない?(冊子媒体の必要性の有無は置いときます)
* 同人イベントや公式イベント(出版社主催など)への参加とイベント自体の充実度
o これは結構むずかしいかも。
* グッズ・書籍・ソフト等の購入ショップの問題
o 通販と店舗受け取り等の相互ネットワークで緩和できそう。あとはデータDL。
* 友人・コミュニティの規模や数
o ネットはコミュニティに強い媒体。ただし、ネット友・リア友の友人・コミュニティの質の線引きの問題があり、これ以上の改善はなかなか難しそう
項目を埋めるだけが対応じゃないですからね。役所の仕事じゃあるまいし。
あくまでも例です。例。
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そんなに深く考察してませんが、上述の問題を考えてて、ゲームという媒体が情報の相互共有しづらい時代のうちから、共有できるメディアとして成り立った理由がなんとなく分かったような気がします。
体験時刻がバラバラでもある程度まで大丈夫、そのおかげでパッケージの到達差は大きな問題にならない(体験共有の観点から)、玩具店などの流通ネットワークが充実していたので配給差がない、同時同一性が強い(近くに自分が遊んでいる・遊んだ同タイトルのプレイヤーがいることが多い)、…エトセトラ。
ただ、その状況も次第に変化しつつあるような気もします。
体験内容や成果の報告や調整が実生活の延長上のコミュニティよりはネット上のコミュニティへとその中心を移しつつあるからじゃないかとか色々理由があるような。
この問題はそのうちまた機会があれば考えてみようと思います。
結論らしいものが出ませんでしたがここまでに。
ゲーム作りあれこれ
日記開いてみたけど、思ってたより書くことないですね。
よくないなぁ。こんなことじゃ。
関西COMITIAさんからの当落通知がまだ来てないみたいで、ちょっとそわそわしてます。
が、どうやら昨日が読書会だったようなので、これから当落確定&発送なのかなと当たりをつけてます。
東京から関西は飛行機で行くと山口は言ってましたが、乗り換え・接続を考えたら新幹線とどっちが早いんでしょうね。
彼は飛行機好きなので、まあ、多少の差なら飛行機で行くんでしょうけど。
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すんごく個人的には、以前に123便事故の調べ物を結構本格的にやって以来、航空機の近距離国内線が不安でしょうがないです。
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そういえば全日空の予約システムトラブル、原因はなんだったんでしょうね。
各空港のサーバーとクライアントが同期できなかった的な記事までは読んでたんですが。
Googleストリートビューについて色々。賞賛意見と否定意見について思ったりしたこと。
ネットを巡回してみて、賛同多数の有力否定が点々。といった感じを受ける。
賛同・賞賛の意見の向きとしては、「すごいよこれ!」って意見が多くて、ここには僕のようなGoogle信者(と呼べるほどかどうかわからないけど)や新サービスへの好意的解釈がほとんど。
アイデアはこれまで何度も出現し、プロジェクトが立ち上がったことがあるようなサービスにも関わらず、一定以上の機能充足を果たしたものとしてはこれが始めてかも?
っていう、ある種の夢を実現した。というところは評価されている要素として大きいと思う。
Googleならいつかやってくれる。みたいな期待感とかも含めて。
ただ、Googleの検索サービスの一部技術もそうなんだけど、労力の結集を本当にきちんと、つきつめてやった。
というところが、このサービスの新しいところなんですよね。
こういう形でサービスに取り組める企業は少ないので、そこがGoogleが評価される、されるべきポイントだと思います。
ですが、企画として、技術成果として新しいかというとそうではない。多くのヒトが夢見てきたことだし。(もちろん、表示や読み込み周辺の細かい部分にかなり徹底的に配慮して作りこんであるので、細かいライブラリ的ノウハウとして新しいものはいくつかあるっぽいなぁとは思う)
この夢を実現したという点や、かかった労力度(技術の無駄使い的賞賛もあるような)、また、これを使った既存サービスへの適用性や新しい可能性を評価して賞賛しているのが賛同的意見の大半だと思います。
翻って、否定的意見としては、肖像権・著作権・プライバシーの侵害などの問題と、そこから芋づる式に出てくる、犯罪や悪影響に関する考察と意見。
その人その人が持っている生活環境・資産・ライフスタイルなど、そういった物に起因した意見が多いので、とても切実な感じがするし、それだけに鋭い意見が多いなぁと思いました。
数としては少数ながらも具体的な問題を提起している意見が多いように感じられます。
僕個人としては、Googleの方法論やサービス化の取り組みを賞賛したい一方で、これら否定的な意見はちゃんと考えなくちゃいけない事だなぁと思っています。
もしこれが長期的イノベーションであるとして。
こうした状況が社会全体に受け入れられてくれば、都度都度に起きてくる問題に対して、対策や方法を考えて取っていく。
…ということが出来るのが人間の素晴らしいところなので、中長期的に見たときはあまり心配してないです。
ただ、サービスの独自性・革新性が高ければ、そのこと自体が反感を持たれることもありますよね。
また、その革新性から出てくる影響に、—————いずれ乗り越えられる事だとしても—————短中期的に悪影響を受けるヒトだっている。
影響が少なく、その新しさや可能性に賛同でき、ポジティブな立場でいられる層(自分も含め)は、逆にネガティブな意見や立場を持つヒト持たざるを得ないヒト(重要)の言葉に、自分たちの潜在的な問題可能性のためにも、共感する努力や意見を受け入れる準備が必要ではないかと。
んー。例えば。なんですが、新しさその物に反発する意見層のヒトに
「新しいもの受け入れられない連中時代遅れで乙w」
…なんていうような人はちょっと優しさが足りないなぁと思う。
これはいいすぎな言い方ですけどね。(笑)
ま、それは冗談として。
「こういう人達(自分達)に悪い影響があるんだよこれは!」
…という意見がある時は、自分たちにも同じような影響が潜在的に存在している事も検討してみて、一緒にその問題を考えたり解決の方法を模索することが必要だと思います。
なんでこんな当たり前なことをわざわざ書いてんだ。
という感じですが、どうしても、ネット上の意見は、受容的な態度がなくなりがちです。
そのおかげでいらぬ誤解を生みやすいので、サービスがキチンと、みんなで使える現実的な地平に落ちてくるチャンスを逃していることが多いように思うのでこんなことを書いてみています。
意見エントリーがでる。
それに反論するエントリーがでる。
反論エントリーは意見の内容に対応する反駁内容。というだけで終始しがちだから、意見の内容を否定して終わることが多いんですよね。(厳格にそれを行っているか、曖昧に行っているかは個別差がある)
もちろん、書かれた意見がその人の頭の中にあるすべてじゃないし、文章を書くことがあまり得意でない人だと無駄に問題を先鋭化させることがあるでしょうから、「中の人」の意見がそのままエントリーのカタチに落ちているとは思っていません。
むしろ、上述したような、包括的で、受容性のある人だという可能性の方がはるかに高いと思っています。
ネガティブな点を訴える人に共感し、理解しネガティブな問題の解決策を考え、
ポジティブな点を意見する人に賛同しそのポジティブな案の実現策を考えて。
特に、悪意のない姿勢のエントリーだと、そういう人であるという前提で見てみないとひとつの問題に関するネガティブとポジティブが二元論的になり、殺伐というか、こんな事いいたかないですが愛情的なものが不足しがちになるなぁと。
悪意の判断も、本当は文章だと微妙なんですよね。先鋭的というか、回り持った論理というか、とにかく「そういうふうにしか書けない」って人もいるので。
余談ですが、二元論的発想が思想レベルではなく、個人の意見レベルになっていて、ちゃんとマトモな状況が生まれた試しって歴史的に見てあまりないっていうか、そういう思考次元で現実に動いちゃう人たちっていうのはたとえば政治的痴呆者・思想的狂人であるケースが多く、そのために無辜の人々が災いを受ける事例って多いような。
(この言い方は世界事件史・政治史に偏った自分の志向性から出てるんでご容赦)
というわけで、ネットでは言葉という、直截的概念をやり取りする世界なので、こういう賛否両論な話題については、自分自身がどちらであっても、受容的姿勢を忘れずにいたいなぁと思った次第です。