地方と首都近畿圏とのオタク文化格差

この記事はNumber8のHPに載せてたものですが、サークルっていうよりごくごく個人的な感想に近いものなのでこちらに転載してしまいます。

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関西コミティアへ参加してみようとの山口からの提案を受けて、地方イベントについて調べていたところ、リンクの流れに沿っていくうちに地方と首都・近畿都市圏のオタク文化の格差に関する考察があって大変興味深く、影響も受けたのでエントリーしておきます。

地方人ながら、アニメはあんまり見ない上にグッズ等も買わず、ネットからの吸収(ブログ・ニコニコ・2chなど)と、消費に関しては本が中心で Amazonがあれば問題なく生きていける自分のようなインターネットがあればいいや的オタクと、アニメの新放送やグッズや同人イベントや周辺情報の摂取に対して積極的な層にはまた物理距離以外の文化上の隔絶がありそうですが、どっちかっていうと後者の方がオタクとされる場合に一般的な傾向だと思われるので、主にそちらにフォーカスした情報が集まりました。

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ちなみにこの問題については、オタクという括りだけでなく、サブカルの持つ問題として少し取り上げていらっしゃった『また君か:地方東京問題雑感 2006(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060315)』のエントリーが引っかかりまして、似たようなことを山口と(彼は昔、セレクトショップ系ブランドの乱立・流行時に服飾に大変ハマっていたそうです)話をしていて 彼が触れていたこともあり、この"中央"からの物理距離問題はオタク文化というよりはサブカルチャーが抱えている問題なのかも知れません。

「欲しい!だけど地方では買えないんだよ!その服を!
…だけど欲しい。って気持ちの動機になったそのお店の思想やコンセプト、感性やデザイナが語る言葉、そういった物はとてもよく知っているのに」

…という気持ちは大変切ないとのこと。

他の例でたとえると、インディーズで人気があったところからメジャーになるかなぐらいのアーティストへのファンの心理だとか、世界的な著名人が日本に来る けどイベントやるのがドームのある街だけだよ的な気持ちや状況にも通じると思うので、そういった意味でサブカルが常に持つ問題かなと。

それでも好きでいることが切なくて、そして大変という例については

オタクの地域格差
http://anond.hatelabo.jp/20070121162653

・・・が良いテキストです。
翻って、東京在住(の方の意見で間違いないと思われるが)の方の気持ちとして

独り言以外の何か
http://d.hatena.ne.jp/Su-37/20070502#1178047394

・・・という意見も。各個撃破・集中させなくてはならないという意見は妙に納得できました。
ただ、やっぱりお金の問題は大きいと思います。
普通に社会人として平均的な年収を稼いでいても、夏冬の時期に絞っても最低20万ぐらいは確実に飛ぶということは、自分の感覚だとかなり使ってる感があるわけです。
ここは個々人の金銭感覚・消費感覚次第の部分も大きいと思うので、何かデータがあれば見てみたいですね。

とまれ、"関する情報"(ソフトとしての情報ではなく)という概念上の獲得物だけでは満足できない。
そうした周辺情報から刺激された欲求に対して、現実世界の充足のための装置が貧弱だと、それが悲しいというか切ないというか。

そういうまとめ方でOk?

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具体的に東京や大阪には何があって、地方には何が無いのか。という点については、多くの方が言及し、データも出してくださっているので(ぜひこちらのデータもご覧ください http://homepage2.nifty.com/rhino40/extra-data/extra/localrank2006.htm)ここでは例のみ出させていただくと、、おおむね以下のような部分が『格差』といわれる項目なのかなという感触を得ました。
言語化しない物も含めてこれ以外にも沢山あるんだと思いますけどね。

* アニメの新放送への追従の問題
* アニメ放送時の配給の放送局ごとの有無の問題
* 本の発売日のズレ(遅れ)
* 同人イベントや公式イベント(出版社主催など)への参加とイベント自体の充実度
* グッズ・書籍・ソフト等の購入ショップの問題
* 友人・コミュニティの規模や数

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んで、東京・大阪では足りていて、地方には何が足りないのかっていうと、これはつまりこういうことじゃないかと。

* 物量(+=選択肢の数)
* スピード(提供の間隔と含む時間精度)

…あれ。平凡なところになりました。

ただ、足りてる足りてないの判断地点は個人の価値観が大きく関与するので、足りる足りないの問題からすなわち格差という話になるのではなく、そもそも、その議論をするための地平を根本から支えてる原的な部分の問題としてこの2つがあるんだろうなあと思います。

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さて、あんまりグダグダすると長くなってしまいますので、さっさと『物量とスピードはどうなればより良い方向に向かうの?』という点にシフトしたい。

極論しちゃえば、お金がどれくらい投じられるかという問題になりそうですね。
とはいえ、こういう風にお金の話だから。というように決め付けちゃうと、包括的だけど問題点がぼんやりしてしまうので、微妙なところ。
この点はしっかり分かっておきたいという前提で。

地方経済が活発化しないと当然、当地のオタク文化圏に落ちてゆく金額が少ないので(生活必需要素の優先的占有率は地方・中央の差が縮まりつつあるようなので余計に)、そうである以上は物量とスピードを上げてゆくための努力が成されない(現状維持が最優先)ということになり、そのため、文化その物の価値も含めた周辺社会での認知も遅れてしまうという多重問題に。

ただ、これじゃああんまりなので、ちょっと違う観点から。

この手の論理だとお金が上から落ちてくるという観点から語られがちで、僕もそこでストップしてたんですが、こう見えて経営問題とか営業問題とかに頑張ってるらしい山口いわく、『お金を引っ張ってくる・お金が生まれる環境を作る』(という発想がスマートじゃないというか泥っぽいためか分からないけど)みたいな意見が抜けたままその話になるのが嫌とのこと。

なるほどというか、その考え方ができるかどうかまで考えてみて初めて、

愚仮面:[オタク]地方オタクとオタクの現場と
(http://d.hatena.ne.jp/derorinman/20061002/1159802430)

オタクの地方格差問題2007年
(http://homepage2.nifty.com/rhino40/extra-data/extra/local2007.htm)

こちらで取り上げている人材問題の話題に改めて納得できました。
友人の有無や、地域・地方コミュニティ内での積極性のある人物の有無について述べた内容ですが、もうちょっとここに付け足すことが許されるならば、『オタク文化のために社会活動や企業活動を通じて、オタク文化へやってくるお金を発生させるように頑張る人材』も、含めて考えていいのかなと思います。

ただ、それじゃあそういう人材がやってることってつまり何なのか。ということなんですが、これも大概泥臭いかも知れませんが、企業の広告や宣伝にそうしたオタク系カルチャーのブツを使っていただくことであるとか、電車男等々のような、文化の内相について伝わるような媒体を世に送り出すとか、相互宣伝や取り持ちを行う代理人を作ることであるとか、必要であれば官を動かすよう働きかけてみたりしつつ、公共性があってかつオタク的側面を含んだイベントをやって外堀埋めをやってみるとか、とにかく色々。
…というのはロクに考えていない、アイデアとも呼べない垂れ流し例かな。

ともかく、ビジネス(笑)っぽい発想と実行ができることも含めて、『人材』なのかもなあと思う次第。
そういった人材が地方にもっと生まれてくると、物量とスピードの改善に手をつけてゆけるかもね。というハナシ。
中央にいるかといわれたら微妙な気もしますし、もうちょっと別の言い方をするなら、ごく簡単に『オタク文化コミュニティの中と外の世界を積極的につなげる人材』というだけのものなのかも知れません。

ただもちろん、彼らの動機や理由を支える僕らのようなつくり手が、精一杯頑張るのは至極当然です。
プロ・アマの垣根が薄くなってるから余計に。…ですね。
だけど、数寄でやるということ以上に多少の使命感を持てるとより良いのかもね。

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ただ、人材や社会的価値・お金云々の問題をおかせてもらうと、インターネットがやっぱり、この問題をそれなりに早めに解決・緩和する(しつつある?)方法な気がしています。

先ほどの具体的な問題への対応を考えたときに、一通り埋められるからです。
充足の質はまた別のハナシです。下記の対応ではまた「足りない」問題が出ることが明確ですので。

* アニメの新放送への追従の問題
o ネットで配信できるような放送体系が生まれればおk
* アニメ放送時の配給の放送局ごとの有無の問題
o 同上。強い放送局と弱い放送局に分かれる。というかそれどころか、配給元が直接配信でマージンを切れるかも知れない。
* 本の発売日のズレ
o 流通業界は日々、皆が思っているより状況改善しつつあるみたいなので薄れつつある問題だけど、いっそDLして読めれば問題ないんじゃない?(冊子媒体の必要性の有無は置いときます)
* 同人イベントや公式イベント(出版社主催など)への参加とイベント自体の充実度
o これは結構むずかしいかも。
* グッズ・書籍・ソフト等の購入ショップの問題
o 通販と店舗受け取り等の相互ネットワークで緩和できそう。あとはデータDL。
* 友人・コミュニティの規模や数
o ネットはコミュニティに強い媒体。ただし、ネット友・リア友の友人・コミュニティの質の線引きの問題があり、これ以上の改善はなかなか難しそう

項目を埋めるだけが対応じゃないですからね。役所の仕事じゃあるまいし。
あくまでも例です。例。

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そんなに深く考察してませんが、上述の問題を考えてて、ゲームという媒体が情報の相互共有しづらい時代のうちから、共有できるメディアとして成り立った理由がなんとなく分かったような気がします。

体験時刻がバラバラでもある程度まで大丈夫、そのおかげでパッケージの到達差は大きな問題にならない(体験共有の観点から)、玩具店などの流通ネットワークが充実していたので配給差がない、同時同一性が強い(近くに自分が遊んでいる・遊んだ同タイトルのプレイヤーがいることが多い)、…エトセトラ。
ただ、その状況も次第に変化しつつあるような気もします。
体験内容や成果の報告や調整が実生活の延長上のコミュニティよりはネット上のコミュニティへとその中心を移しつつあるからじゃないかとか色々理由があるような。

この問題はそのうちまた機会があれば考えてみようと思います。

結論らしいものが出ませんでしたがここまでに。